2009年09月23日

第22問

22.日本の展示が制定された時の東京盲亜学校の校長は、次のうち誰か。

 1. 石川倉治
 2. 遠山国太郎
 3. 小西信八
 4. 中村京太郎


★東京盲唖学校教員、石川倉次(いしかわ・くらじ 1859-1944)の考案した日本語の点字が、東京盲唖学校内の点字選定会で採用された。

★1890年の秋に至って、石川の案、教員・遠山国太郎の案、生徒・伊藤文吉と室井孫四郎との共同案の3案にしぼられ、点字選定委員会の会議を数回繰り返した後に、最終的に石川案に決定しました。

★小西信八(こにし・のぶはち)・・・新潟県長岡藩出身。1886(明治19)年文部省直轄となった訓盲唖院の専務となり、その後東京盲唖学校長心得を経て校長となり、1925(大正14)年東京聾唖学校を退官するまでの40年間、我が国の盲聾教育の発展に尽くした。1890(明治23)年には日本の点字を策定し、1896(明治29)年から1898(明治31)年まで盲聾教育を中心に障害児教育全般の研究のため、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスを歴訪。盲聾教育の分離を進め、盲聾教員の養成などにも着手した。

★中村京太郎(日本盲人の父)・・・大正11.3.20・・・大阪毎日新聞社編集局員として採用され「点字大阪毎日」編集主任命ぜられる
posted by 魔女 at 11:00| 岩手 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 技能検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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